まず最初に断っておきたいことは、私は7年間高校の理科教員として働いた経験があって、小さな頃から科学が好きで育ってきた人間です。
そしてそんな私にとって、宗教なんていうものは自然科学と反するもので信じるに値するものではないと思っていたし、哲学なんというものは自然科学の発端となったというだけの理解しかありませんでした。
この本を読み切ったとき、自分がいかに自然科学を浅はかに扱っていたのかを恥じました。
宗教と自然科学の対立なんていうものは、いまから1000年近く前にとっくに起きていて、いまなおその対立が残っているというのはなぜなのだろうか。
哲学から自然科学が生まれたの紀元前の昔だったが、その哲学の時代ですでに、イルカは哺乳類であるという分類学もできていて、論理的思考を説く論理学、万物の素は原子であるという原子論もある程度完成されていたこと。
自分が理科教員でありながら、それらを知らずしていたことがとたんに恥ずかしくなりました。
哲学者なんていうものは所詮、自分の考えをもとに人に知恵を与えていただけの道楽者だと思っていましたが、極めて堅実、地道で、物事を繊細に捉えて考えていた人たちだということが、この本を読んでわかりました。
そんな哲学者たちが挑んだのは、この世のあらゆる物事へ疑問を投げかけ、答えとなる『真理』を探求すること。
その探求の積み重ねと歴史が、いまの私たちの社会の基盤になっていることを、知らないまま生きてきたんだなぁと感じました。読み終えると、思考が1STEPあがったような気になります。
作者は「グラップラー刃牙」の大ファンで、随所にネットスラングをちりばめながら、本来は堅苦しく眠くなるような哲学の歴史を、軽快で楽しく読ませてくれます。
哲学者たちの言いたいことを、「今風のことば」に置き換えてくれるので、すんなりと頭に入ってきます。
この本を読めば、「歴史は繰り返される」といわれるそもそもの理由がよくわかりますし、現代を生きることのヒントは歴史の中にあるということもよくわかります。
私のような哲学のことを小馬鹿にしていたような人や、哲学の「て」も知らない人たちにこそ読んでもらいたい本だといえます。
この本の内容についてもうすこし書いていきたいと思います。
哲学とは何か(本書の概要)
『我思う、ゆえに我あり』
『無知の知』
『人は考える葦だ』
という哲学を象徴する言葉を知っている人は多いですが、そもそも哲学というのはどういった発祥のもので、何の役に立ってきたのかというのは意外と知れていません。
科学が進歩して、そんな抽象的なことを考える暇があったら、より便利で役にたつものを考えるべきというのが現代人の考えで、哲学の地位というのはずいぶん低いように感じます。
なぜそう思うかというと、この本を読むまえの私がそう考えていたからです。
人とは何か? 神とは何か? 生きることの意味とは? 死ぬことの意味とは?
そんなことを考えるのは、時間にもお金にも余裕がある人だったり、人生を達観して浮世人のようになった人ばかりだと思っていて、いまの世の中を生きる『普通の人』とは縁遠いものだと考えていました。
けど良く考えてみれば紀元前の昔から人類はあらゆることに疑問をもって問いを投げかけ、それに対して答えを出してはそれを否定して、それの繰り返しだったわけです。
それは今の科学も同じなわけで、新しい発見とそれを検証する手続きの基本は哲学の時代から何も変わっていないんです。
太古の昔、賢人と呼ばれた偉人たちは、その発見と検証の思考に長けていて、世の中に新しい知識や知恵、技術をもたらしてきました。それはつまり、世の中を豊かにするという科学の目的そのものでもあります。
そして哲学の扱う領域は科学よりも圧倒的に広く、神や国家、生や死の意味をも相手取って、よりよく生きるための道標となってきた歴史があります。
極めて論理的な思考を武器に、この世にあらゆる疑問をふっかけ、そして答えとなる『真理』を探求する崇高な学問であることが、この本からわかります。
唯一無二の『真理』が存在するのか否かという問いだけでも、何人もの賢人が、何百年という年月をかけて論戦を広げてきたんです。
その過程ではいろいろな事象を検証する必要があったため、国とはなにか、神とはなにか、仕事とはなにか、生きるとはなにか、という私たちの歴史の根幹にも関わることにも、意見がかわされます。
この本の全体構成は、こうした哲学の論争の争点となった、①真理 ②国家 ③神 ④存在すること の4点をピックアップし、それぞれの哲学者がどのように主張し、論を戦わせていたのかを面白おかしく書いてくれています。
個人的には②と③の、国家と神についての歴史はとても面白かったです。
昔の哲学者が国家のあり方をすでに看破していて、いま私たちが生きている社会というのはその焼き増しでしかないことがよくわかります。
神についての章では、宗教のそもそもの成り立ちや、宗教と科学の対立、そして科学の敗北と限界、そして逆転劇について知ることができます。
科学が当たり前になった今だからこそ「面白い」とおもえる内容だと思います。
ここからは私個人がこの本を読んで特に面白いと感じた、哲学と科学の関係について書いていきます。
哲学は自然科学の祖
科学というのはその中の一部が分離して発展してきただけの分野なのです。
科学の祖(万物の祖とも)といわれるアリストテレスは紀元前500年近くまえ、つまり今から2500年も昔に自然科学の基本体系を整えたといわれています。
アリストテレスから、天文・気象・動物・植物・地球を観察対象とした体系的分類学がはじまります。
イルカは乳をのますから魚ではなく哺乳類だ、と観察事実を元に分類する手法はまさに現代科学の基礎の基礎です。
デモクリトスは万物を分解すると最も基本的な粒子「原子」になることを紀元前の時代から言っています。
いわれてみれば数学の授業で習うピタゴラスも紀元前の人物です。現代の中学生が習う数学はすでに紀元前の時代に完成していたということです。
つまり哲学者たちの功績によって、すでに2000年も昔に科学の種はできていたわけですね。
けど、私たちがいう科学の発展というのはいわゆる「産業革命」以降のものをイメージします。
人類は1500年もの間、なにをしていたのでしょうか?
科学の発展を拒んだ宗教の歴史
その間は、いわゆる中世といわれる宗教の時代でした。
異端審問だとか魔女狩りだとか、そんな物騒な言葉で象徴される時代なわけですが、その時代において科学というのは宗教によって弾圧された存在でした。
宗教と科学は、水と油のように相性悪く、トマス・アクィネスという神学者であり哲学者が、「科学は論理的に原因と結果を因果づける学問だが、そもそもの原因を説明することはできない」と科学の限界を指摘して、「その説明できないことは宗教でしか説明できない」とすることで、宗教を科学の上の存在へと押し上げました。
これにより宗教の立場が強くなり、ローマ帝国の国教となって後ろ盾を得たあとは、科学という異端の考え方を消し去ろうと、人々から科学を奪うことがはじまります。
よくフィクションの世界に、「かつて発展した文明があったが、発展した文明は滅んでしまった」という世紀末な設定がありますが、ちょうどあんな感じで、かつて栄華を極めた科学の世界が崩壊していったんです。
そこから宗教内の対立によって宗教が弱体化して、王政から民主制への移行へ合わせて産業革命の後押しも受けて、科学は再び市民権を得ます。
そんな科学と宗教をめぐる歴史について、調子よく語るこの本でさくって読めてしまいました。
科学の発展に至るまでにそんな裏ばなしがあったのか!と驚くことばかりでした。
科学の限界とこれからの世の中について
あらゆる問題を解決して人々の生活を豊かにしてきた科学ですが、現代になって新たな課題に直面しています。
科学を代表する学問である数学や物理学は、不完全性原理や不確定性原理などが発見、証明されることで、それ以上はどんなに努力をしても解決ができないという「限界」をつきつけられています。
「科学でも解決できないことがあるということ」が科学的に証明されてしまったということです。
それはかつて、「科学が解決できないことは宗教が解決できる」という詭弁でもって科学の地位を貶めたように、科学の地位を揺るがす大問題なんです。
そして社会も大きな問題に直面しています。
王政から民主制へと支配者のあり方が変わり、そして社会のあり方も資本主義から資本主義へと変わりました。しかしいま資本主義が限界を迎えようとしています。
そもそも資本主義の原動力は「より富みたいという意識に端を発する競争力」なわけですが、いまは食べ物も娯楽も、安価に手軽に手に入り、大した努力も苦労も我慢もしなくても満足できる時代になりました。
それはつまり、「競争しなくてもどうにか生きていける時代」の到来です。
その時代では、原動力を失った資本主義は衰退あるいは崩壊する可能性が出てきます。
その一つの側面が、ニートと呼ばれる人たちの存在です。
この本の中では、彼らのことを怠惰な存在ではなく、社会構造の変化の結果当然生まれるべき存在としています。
これからの世の中を生きるためには、また「考えないと」いけません。
それはすなわち「哲学をする」ということです。こう言っちゃうとなんだか宗教くさくなりますが、ようはよりよく生きるために一人一人が「考えていかないといけない」ということです。
そのヒントは「考えることの歴史」である哲学の中にあるのだと感じます。
私はこの本を読んでそんなことを思うようになりました。
ぜひ、多くの人の考えるヒントになってほしいなと思い、この本を紹介させていただきました。
ここまで読んでいただきありがとうございました!