地元地域で「ネットいじめ」や「SNSトラブル」についてセミナーを開く機会があったので、そのための勉強用としてこの本を購入しました。
私の所属する高校には、問題としてあがってくるいじめというのもほとんどありません。
いじめというのは小学校・中学校がピークで、高校では減ってくるものだと考えていました。
しかし、それは本当なのでしょうか?
この本を読んで、これまでいじめについてよく理解せずに教壇に立っていたことに、少しばかりの恐怖を感じました。
この本は、「いじめの場はどこにでも発生する」前提のもと、いじめ問題に教師がどのように取り組んでいかないといけないかの指針になります。現役教員の皆さんにもぜひ読んでもらいたいです。
また、学校ばかりが責を負うばかりではいじめ問題は解消されていきません。
学校現場は過剰労働で疲弊しています。その背景にあるのは、教育現場の「足し算」されていく文化です。
いじめ問題への対処も、「足し算」になってしまい、十分に取り入れられない現場が多いことも理解しなければなりません。
家庭・学校・地域で子どもたちを育む姿勢が必要です。
ぜひ、保護者の方やお子さんが巣立っていかれた世代の方にも読んでもらいたい、幅広い層へ向けた良書といえます。
今回はこの本のあらすじ、要約を交えながら、レビューをしたいと思います。
日本のいじめ対策の現状
「いじめは悪いことである」ということは、誰でも知っています。
いじめを行っている加害者は先生の目を盗んでやっていることが多く、それはすなわち「後ろめたさ」があるからにほかなりません。
「いじめは悪いことだ。だからしてはならない」という道徳観に訴えかけるだけの指導では、いじめ対策にはならないのです。
また「いじめを厳罰化」することで懲罰的に減らそうという動きもありますが、これもまたいじめの本質的な対処になりません。
いじめの加害者のパーソナリティに問題があるわけではなく、いじめが発生する「場」そのものが問題で、この本ではいじめの起こりにくい場を「ご機嫌な教室」、逆にいじめが起こるリスクが高い場を「不機嫌な教室」と呼び、それぞれの性質や変化の要因などについて詳しく述べられています。
こうしたいじめに関する教育の現状と課題、そしていじめ行為の分類や原理などについて多数のエビデンス(証拠やデータ)を元に言及されており、世間一般が理解しているいじめ問題自体が矮小化しているものであると気付かされます。
いじめ問題を科学的な目線で解きほぐすことで、感情論ではなく論理的な立場で問題と向き合い対処することができます。
いじめ報道はしばしば加熱しがちで、被害者を守るために過激な行動をとってしまうこともあります。
それは結果的に、集団から個を排除しようとするいじめの図式そのものであり、ミイラ取りがミイラになるような事が起きてしまうわけです。
いじめ問題こそ、冷静にかつ適切に判断を下して対処に当たることが要求される繊細な問題であることを、忘れてしまいがちです。
この本を読むことで、いじめを知り、いじめの本質とどう向き合っていけばよいのか、指針を得られるものと思います。
いじめを生まないためにできること
“いじめというのは、単に「いじめっ子/いじめられっ子」の二者関係によって生じるものではなく、加害者の「心の問題」のみで生じるものでもない”
いじめの本質は集団にあります。いじめリスクを向上する集団を形成してしまう要因は多くありますがこの本では「ストレッサー説」に注目しています。
校則や体罰、教師の叱責、いじり、といった「ストレス要因」が集団ストレスを高め、同調圧力や相互監視といった空気の後ろ盾を得た排斥行動を行うことがいじめの原因になります。
いじめっ子を生まないということは、いじめを生む場をなくすということでなされなければなりません。
本書の中では、いじめ発生の原理を論理的に考察し、いじめ防止のためにできる様々な取り組み事例とその効果について言及されています。
すぐに真似できることもたくさんありますので、大きな参考になると思います。
ネットいじめは教室のいじめと陸続き
私が一番関心のあったネットいじめについてですが、本書の中では実にシンプルに取り扱われています。
「ネットいじめは、従来のいじめと異なる新しい現象」ではないということです。
ネットいじめを受けている人は、同時に教室でのいじめ被害も受けているというデータを引き合いに、形態の新規性はあるにしても、従来から教室で起こっているいじめと根本的な構造や原因、対処法は同じであると言及しています。
その本質を理解せずに携帯電話の使用を禁止したり、監視を強めたりといった対策では効果がないとも述べられています。
タイプの違ういじめであっても、いじめを防ぐ場の基本は「教室」であるということは、目からウロコでした。
いじめ対策には、教師の負担軽減が不可欠である
教師の多忙化が問題となり、もっと注力すべき業務に支障をきたしているのが、今の日本教育現場の実情です。
労働時間の増加、教員1人あたり児童数の多さ、勤務時間に占める部活動や一般事務の割合の高さ、教師の自己肯定感の低さ、研究不足などが、諸外国と比べて顕著に差が出ています。
小学校での英語必修化、プログラミング教育の導入、ICT導入、英語外部試験の導入、新テスト…。その状態で、新たにこれをしなさい、あれをしなさい、では機能不全を引き起こすだけです。
きめ細やかで目の行き届いた指導を実現するためには、業務軽減と人員増加が不可欠であると述べられています。
GDP比総教育支出の低さも際立ちます。
教育改革の度に、足し算ばかりが行われています。
教育をよりよく変化させるためには、足し算ばかりではいけないと私は考えます。
思い切った引き算や、現場の求める投資をしていくことで変えていけることがたくさんあることを、保護者の方や地域社会の皆様にもわかっていてもらいたいと私は考えています。
子どもたちが助けを求められる環境づくり
いじめの防止と同時並行で進めていかなければならないのが、いじめにあってしまった子どもたちが助けを求められる場作りです。
いじめにあっている子どもたちは「いじめられる原因は自分にあるのではないか」と考え、誰にも相談することができなくなり、ヘルプを出せなくなっている傾向があります。
そんな被害にあっている子どもたちが、「逃げられる場」がもっと広く知られる必要があります。
本書では、クラス開きのときに示すべき「いじめを許さない教室方針」と「いじめにあってしまったときにしてほしいこと」が紹介されています。
同時に、強い影響力をもつメディアの果たす役割についても述べています。
感情的に加害者非難をしても、被害者の救いにはなりません。
本当に被害者のためになることは、被害者が相談できる、逃げる場があることを伝えることなのです。
実際のいじめ発生件数と大人側のいじめ認知件数の間には、いまだ大きな差が開いています。
一人で抱え込まずに、もっと周囲を頼ってもらえるような環境作りを、我々教師はもちろん、大人全体がしていかなければならないと思います。
この本から得られる教訓
いじめは得てして「集団性」「一方向性」などといった要素がないと成立しないと思いがちです。
我々大人からみて些細なことでも、傷つく子どもたちはたくさんいますし、対処されずにいる「いじめの種」がたくさんあると考えられます。
学校現場は健全な失敗を繰り返すことができる場だと思います。
人間関係でうまくいかないことも勉強ですし、喧嘩別れや仲直りも経験することがとても大切です。
その点を考えると、すべての生徒同士のトラブルに介入する必要はないと思います。
しかし、そうしたささいなトラブルは常にいじめへと発展するリスクを伴うものです。
我々大人が、子どもたちの健全な失敗を安全に積めるよう、しっかり目を配り、悪い方向へ流れていかないための対策を常に打っていかないといけないということを学びました。
ぜひ、一人でも多くの大人に読んでもらえることを願っています。