今日はチラシの裏に乱筆するような記事を書きます
なんだか今日は適応障害の症状に近いものが出ています。
適応障害ってなに?って人に説明すると
「適応障害とはある特定の状況や出来事が、その人にとってとてもつらく耐えがたく感じられ、そのために気分や行動面に症状が現れるものです。 たとえば憂うつな気分や不安感が強くなるため、涙もろくなったり、過剰に心配したり、神経が過敏になったりします。」
こんな感じのものです。
実は私は数年前に本格的な適応障害を発症して仕事を休職していた経験があります。
学校の教師として働くなかで、働く意義というかやりがいの背骨の部分がボキッと折れて、働けなくなってしまいました。
少し当時の話をさせてください。
当時の私は、教育という仕事に誇りとやりがいをって働いていました。教師が天職だと思っていました。
毎晩9時10時まで授業準備やホームルーム担任の仕事に没頭し、土日は部活動の顧問としてはたらき、高体連の役員にも就いて働きましたし、授業研究などの校外研修にも積極的に参加しました。
すべては「子どもたちの成長のため」という大義名分をかかげてやっていたことで、それほど苦に感じたことはありませんでした。
休みもなく忙しいながらも充実した日々でした。
しかしある日、担任するクラスの中で小さないざこざがありました。
生徒間のささいなすれ違いから生まれた小さなトラブルでしたが、双方の言い分を聞いたりトラブルの解消に奔走している間に「自分はなにをやってるんだろう」「こんなことをするために教師になったんだっけ?」と思うようになりました。
それからというもののことある事に「なんでこんなに忙しくしてるのか?」「なんのためにこんなことしてるのか?」と感じることが増えてきました。
「生徒の成長のため」という気持ちはどこかへいき、ただただ忙しさだけが残って、辛さと虚しさが日に日に募っていきました。
20連勤30連勤というのも決して珍しくない中で、その忙しさをささえていた「やりがい」の部分がぽっかりと抜け落ちていた結果、案の定、限界を迎えました。
仕事に行くことを考えるだけで動悸がして、通勤途中に手が震えました。涙が止まらなくなることもありました。
私は仕事を休職しました。
心療内科では適応障害と診断されました。
そしてしばらくの休息をいただき、仕事に復帰することになりました。
しかし失った「やりがい」は戻ってきませんでした。
これまでは生徒の成長の機会だと思って、丁寧に叱ったり指導をしたり、膝を突合せて話を聞いたり言い聞かせたりしてきました。
しかしそういう関心が、すっかり失せていました。
彼らの行動の結果、将来彼らが困ることになっても「まあそれも彼らの人生だし」などと無関心・無責任な思考に至ることもありました。
そのとき「あぁ。自分は教師に向いていない人間なんだな」とはっきりと自覚しました。
とまぁそんなことがありましたが、現在も教師の仕事を続けています。
で、今日はそんなやりがいポッキリ状態に、またもや「しょうもな」と思えることがあったわけですね。
詳しいことはここには書けませんが、なんかもう、やる気がごっそりもってかれました。
進学校で勉強を教えるという、自分の高校時代の夢を叶えたはずなのに、いまやってるのははたして専門的な授業なのか?進学指導なのか?生活指導の域をでないのではないか?
なんだかむなしい気持ちになってしまい、帰宅してからは回復を求めるように寝てしまいました。
頭がぼーっとして無気力です。感覚としてはかつての適応障害のときの入口にたった感覚です。
とはいえ自分のメンタルをコントロールする術は少し身についてきたので、まずはゆっくり休むことにしますを
一晩寝たところで回復するとも思えませんが、まずは心の栄養を摂取しようと思います。また適応障害が発症するのは嫌ですからね。
今日は愚痴に付き合っていただきありがとうございました。
今日の記事はこれで締めよう思います。
それでは。