まずそもそも、勉強法というのは人それぞれ違うものだ。
暗記とは脳に情報を定着させることだから、脳の個人差によってやり方は違う。
教わったとおりやればできるわけでもない。しかしどんな暗記法にしても外してはいけない基本がある。
この記事ではその基本を紹介していく。その基本を外さないよう自分流にアレンジすることで、自分だけの自分に最も適した学習法を身に着けていく第一歩になる。
ぜひ最後まで読んで参考にしていってもらいたい。
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暗記学習が苦手な人はインプットをベースにしている 必要なのはアウトプット
暗記効率が悪い人は、インプット(読む、見る、聞く)だけをしていてアウトプット(考える、話す、書く)をしていない傾向にある。しかも同じ「書く」でも「効果のある書く」と「効果のない書く」がある。
読む聞く見るを勉強の基本にしている人は、いつまでたっても成績が上がらない。
それもそのはずで、試験とは常にアウトプットで行うものであるのに、インプットでしかトレーニングしていないのでは結果が出るわけがない。
言ってしまえばまるで的はずれなトレーニングをしていると言っていい。
試合に勝ちたいのに、プロの選手の試合を観るばかりで、自分ではトレーニングをしていないという話と同じレベルだ。
試験にしろ発表にしろ、大切な場面で求められるのは常にアウトプットすることだ。
そのアウトプットすることに合わせて、トレーニングをしなければ勝てない。
そして奇しくも、そのアウトプットをするというトレーニングこそが、脳に情報を定着させるために最も適したものであることがわかっている。
アウトプット学習の軸は「問に答えること」と「問う頻度を上げること」
アウトプット学習の軸は2つ「問に答える」と「出会う頻度を上げる」である。
まずここでは具体的なやり方を紹介しよう。
単語をみて「意味は?」と問う。そして答え合わせをする。ただこれだけだ。
たったこれだけのことを、できていない人が実に多い。
単語帳で学習している中高生を見かけるが、そのほとんどが「ただ眺めているだけ」だ。
ただ眺める行為はインプットであり、それをいくら繰り返しても効果は薄い。
大切なのは「単語を見たときに意味が思い起こされる(想起される)」ことだ。
そういうトレーニングを積まないと、いつまでたっても単語は頭に入らない。
なぜ問いに答える形式にするかというと、テストをするときには必ず問いに対する答えを想起するからだ。
読むという行為の中では、想起したり想像したりということが起きにくい。インプット作業とアウトプット作業では脳の使われる部位が異なる。
だからテストで使われる部位と同じ部位をトレーニングできるようにしなければならない。だから問に答えるという形式にする。
そこで単語を1つ1つをクイズにする。つまりミニテスト化だ。
単語をみて意味を口パク、意味を見て単語を発音。目で追うだけでなく口で音にする。音を出せないときは口パクや、口内で発音する。
テストの前に自分でテストをするというイメージだとやりやすいだろう。
そして軸の2つ目は「問う頻度を上げること」
これを「ただ繰り返しやること」と解釈してしなうと、残念ながら学習効果は薄くなってしまう。
大切なのは、一回あたりの出会う「時間」ではなく、時間を置いて出会うことだ。
一定の時間をあけて出会う回数を増やす。だから「頻度」だ。
単語帳であれば、学習効果の低い人は1ページ1ページ、しっかりゆっくりやりながら進む。これではいけない。
そのやり方では、10ページ進む頃には最初の1,2ページの記憶はほぼ抜けていることだろう。
かけた時間に対して頭に入らないのは効率が悪い学習法だと言わざるを得ない。
重要なのは「頻度」
だから単語帳をやっていて、単語の意味を間違えたりよくわからない単語があっても次のページへ進む。
そして次のページが終わったら前のページへ戻る。そして2ページ進んだらまた戻ってくる。
こんな具合で「3歩進んで2歩下がる」という具合にする。
こうすれば何度も出会える。何度も出会うなかで覚える。
人の顔も、1回4時間より、1時間4回の方が覚える。周回するたびに分からないものが減るからスピードアップする。
3周・4周する頃には結構な割合の単語が頭に入っている。
もし3,4周してもわからないものはチェックして特別扱いをする。チェックしたものだけで5周目、6周目と周回を重ねる。
スピードとリズム、テンポがよくなると集中力も持続する。時間の密度が上がる。
スピードが上がると、出会う頻度も上がるので結果的に効率が上がっていく。
こうすることで単語暗記学習の効果は飛躍的に上がる。
ちなみに単語を書く、つまりSpellingを学ぶ場合には、単語の意味から英単語を想起できるようなトレーニングをしなければならない。ただ単語を書く練習しても意味がない。
単語を書くときに発音をしながらやることが一層の学習効果を高める。
ただ板書を写したり、問題の答えを写す行為には"意味がない"
真面目な学生にありがちなことだが、先生が書いた板書をノートに写す行為に躍起になっていたり、宿題となっている問題集をとりあえず終わらせるために答えを写して提出するものがいる。
はっきり言って無駄な行為だ。学習にすらなっていない「作業」である。
その理由はここまで読んでくれた人ならわかるだろう。
答えは「問に答える」になっていないからである。
- この言葉の意味はなにか
- 要点はなにか
- 押さえるべきポイントはどこか
- なぜこのようなレイアウトなのか
- 先生の言っていた話はどの部分を指すのか
など、板書1つとっても考えるべきことはたくさんある。それらをすべてやらずに板書のみをノートに残す行為は、写真をとっている行為と同じだ。
いやむしろ無駄な手間がかかっている上、正確性が低いことを考えれば写真より程度が低いともいえる。
問題集の答えを写すという行為も同様だ。
答えを見ることは有意義だ。しかしその行為を台無しにするのが、ただ写すという行為だ。
模範解答から学べることはたくさんある。
それをただ写す行為は残念ながら学べることを放棄していると言わざるを得ない。
誤解のないように言っておくが、板書を写したり答えを写したりする行為自体が無駄だとは私は思わない。やり方が問題だと言う話だ。
もしまだそういった行為を学習だと"勘違い"している生徒・学生は、勉強への取り組み方を根本から治すべきだと思う。
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アウトプット学習をすると脳が疲労する
しっかりと学習効果の高い学習をすると脳は疲労する。
脳がつかれるということはとてもよいことだ。漫然と学習している人の脳は疲れない。
学習法が板についてきて効率が上がってくると、数時間勉強したあとに疲労感とともに満足感が得られる。
それらが得られていない学習というのは、おそらく脳に対する負荷が足りず無為的な学習担っている可能性が高い。
とすると、学習時間が1日5時間を超えるというのは結構途方もないことだとわかる。優秀な頭脳と忍耐力がなければ5時間もの学習には耐えられない。
もし自分はそれほどできが良いわけではないと自覚しているのに、長時間学習しているという現状がある場合には、きちんと脳が疲れているかをチェックすべきだ。
脳が疲れていない学習法は学習効果が低い。これは学習効率を測るよい指標になるだろう。
1日で3時間より 3日で1時間の方が学習効率は高い
ある日の学習時間を見たとき、特定の科目だけ3時間やっていて、他の科目には全く手を付けていないという人も結構多い。しかしそれはもったいないことだ。
これまで述べてきたように、アウトプット学習の2つ目の軸は「問われる頻度を上げること」だ。
よく英単語テストの前日に30分・1時間だけやるという生徒がいるが、残念ながらそれは意味あるのだろうか?
そのような学習で身につけた知識は、テストが終わったらほぼ消えてしまうだろう。そういう自覚がきっとあるに違いない。
それならば1日10分を3日やったほうが100倍マシと言える。
30分1回より、10分3回のほうが回数が多いのだから学習効果も高い。
ただし3分10回ともなると細分化されすぎて、1回あたりの十分な学習効果が得られない。ある程度の学習時間は必要だということも肝に銘じておくべきだろう。
テストは成長できる絶好のチャンス 逃す手はない
学習の基本はアウトプット。そしてその最もアウトプットの負荷が大きいのは、間違いなく試験だ。
試験をないがしろにするものは、学習の成果は上がらない。
試験の点数を取るために、学習法を試行錯誤し、トレーニングを行い、結果を振り返って取り組み方を反省し、次へ活かす。
とてもシンプルなPDCAサイクルだが、できていない中高生の多いこと多いこと。
これを日々の学習の中で何度も繰り返す中で、『自分がやりやすくて結果の出せる学習法』が身に着いていくだろう。
学習法が身につけば、どのようにすれば試験を突破できるのか自信を持てるようになる。
つまり学校の試験はもちろん、入試、入社試験、はてには仕事に至るまで、「結果の出し方」がわかってくる。
学習法は単なる暗記術にとどまらず、仕事の上でもあらゆることに応用が可能だ。
高校3年間で作り上げた学習法は、まさに人生の宝である。しかも物質的な重さがないから重荷にならないのでなおのこと素晴らしい。
学習ができない子どもがそのまま大人になってもできないままである。
クリエイティブな仕事に就ければ全く違う道がひらけてくるだろうが、学習効率が低い子どもが仕事効率を求められる仕事につくことはできない。
学習効率は勉強の得意不得意だけではない。
「自分の課題を克服するための方法を知っているかどうか」である。
それを知っている大人か知らない大人では、社会人としての価値がまるで違う。
それを鍛えられるのが大学受験だとするならば、大学受験には大きな価値があるだろう。
ぜひ今を生きる中高生には、目の前のことに誠心誠意取り組む重要性をわかってもらいたいと願うばかりだ。
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