高野秀敏氏 with ルークス(Loohcs)高生・ゼロ高生

コラム
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今日は渋谷ヒカリエ8階MOVで一風変わった会が開かれた。

かねてよりフォローをさせていただいていたmukaiさんがこんなツイートをしていて、大変興味が惹かれた。

高校生と社会人はもっと交流をすべきだ、と常々考えていた私にとって、一流のビジネスマンと高校生が交流を持つ会はまさにうってつけの現場だった。

どのようなことが起こるのだろうか、と期待に胸を膨らませ、行きなれない渋谷の街へ出かけて行った。

午後6時。そこに会したのは、高野秀敏さんと、mukaiさんと、私、そして6名の高校生だった。集まった高校生は、いま話題のLoohcs(ルークス)高等学院の生徒5名とゼロ高等学院の生徒1名だった。

茶髪にピアスに黒マスク、ネイル…。

公立の中堅高の教員として、やれスカートの長さだ、やれ爪の長さだ、という指導を日々していた(させられていた)私にとっては卒倒ものであった。

これは、まずいところに来てしまったか…?

そんなことがふと頭によぎった。

いったいどんな話になるのか、全く想像がつかなかった。

高野秀敏という人

日頃会わない高校生という生き物に、高野さんもやや当惑した様子で、どう場をマネージメントすればいいか悩んで、まず自分のことから話し始めた。

自分が宮城県の出身であること、当時インターネットもなく、何かを検索するという文化もほとんどできあがっていなかったこと、そんな折高野さんはある強烈な先生と出会ったこと。

それは落合信彦さん、いま時代の風雲児と話題の落合陽一氏の父だ。

これからはグローバル化だ、英語を死ぬ気でやれ、覚えたら辞書のページ丸めて飲め、という型破りな指導をうけ、とてつもない人だと大きな刺激を受けたそうだ。

東北大学を卒業後、パーソルの前身であるインテリジェンスに入社し、離職率の高い厳しい環境で6年間修行をし、独立して人材紹介会社keyplayersを立ち上げた。

当時はまだ人材紹介・転職求人の認知度も法整備も世間の目も難しいものがあった頃で、そんな中でそんな業務を始めたきっかけは、アメリカに追従する形で日本の法整備が進みはじめたことだった。

グングンと業績をあげ、今では海外事業を多数手がける一流のビジネスマン。

世界の最貧国ともいうバングラデシュでマンション関連の事業という先を見据えた手腕を見せる。

そんな話を高校生たちは一心に聞いていた。

個性の尖る高校生たち

最初、東京ってすごい街なんだなぁと若干引き気味だった私も、高野さんの話を真剣に聞く様子を見て考え方が変わった。

この子たちは、学ぶためにきている。

高野さんのターンが終わり、今度は高校生のターンだ。

高校生は順に自己紹介をしていき、それぞれの話の中で高野さんが興味を持ったことを掘り下げていく。

場にいる高校生全員が、今話題の学校の生徒だ。気にならないわけがない。私も興味津々だ。

ルークス高等学院は、学生自治・選択授業制・非担任制を採用している学校だ。

在校生徒の1人は、本当の生徒主体の学校、と自称した。

生徒主体とは何か、と常々悩む私にとって、それは心惹かれる言葉だった。生徒は続けた。

今の学校は親が主体。親が強くて先生はビクビク指導をしている。ルークスは、本当に生徒のためになることは何か、からスタートしている。そういう意味での生徒主体。

耳が痛い。図星である。確かに我々は日々保護者や世間の目に怯えながら指導をしているかもしれない。

親がそんなこといってもほっとけ!

世間の目なんかしったこっちゃない!

などとは口が裂けても言えない。息苦しい教育の場で我々は戦っている。

生徒たちは自己紹介の中で、実に生き生きとじぶんのことを語る。

それは決して快活でハキハキしているといういみではなく、じぶんの事をじぶんの言葉で語っている。大人に面と向かって、である。

この得体のしれない会に何か楽しいことを探しいていると言った人

事業を3つ持ち個人事業主として働くが行き詰まっていまインターンしながら勉強している人

気を使う質で大人コミュニケーションがひどく疲れるからルークスにきたという人

投資家を目指し、切れ味のいい論を展開する人

誘われたからきただけで、なんだかよくわからずここにいる人

教育に関心があり北欧式の教育を学びマインドマップをめちゃ書く人

十人十色とはまさにこのことで、個性の坩堝であった。人聞きのいいことも悪いことも臆することなく話すその姿に、私はすでに一つの学びを得ていた。

主体性とはこういうことを言うのだな。

何かをすでに為そうとしている人、これから為そうとしている人、特に何かを為そうとしているわけではない人、それぞれがいて、けれど自分にことを素直に表現できることは、なんて素敵だろうか。

田舎の高校だからということもあるのかもしれないが、本校の生徒は、これを言ったら親に怒られる、先生に小言を言われる、と思って自分のことをひた隠しにする子も多い。いわゆる恥の文化である。

息苦しく窮屈な世界を構築し、そとに出ようとする人に向かって、外は怖いところだ、危ないところだと言って縛りつけようとする、そんな典型が私の身の回りにはある。

生徒も先生も何かに怯え、何かの機嫌をとりながら生きる社会で、何が為せるというのだろうか。何かを為すなら喜んでそとに出るべきではないのだろうか。

これまで漠然と考えていたそんなことを、突きつけられているような気がした。

日本の教育の在り方を考える

高野さんはそんな高校生の話を聞きながら、常に相手に真剣に向き合って話をした。その言葉に共通する立場は、起業家マインドだ。

奨学金を借りていると言う高校生には、奨学金の仕組みを知り奨学金を出す側に回らないといけないと語る。

中小企業診断士の資格をとりたいと言う高校生には、資格は取る方ではなく与える方にならないと語る。

何かを享受する、使われる側ではなく、常に仕組みを学び、それを使う側の立場として考える。それを学校現場で私が教えたことは、これまでにない。

高野さんは会の中で言った

今日本はお金の流れつくところに困っている。だから投資家より、起業家が欲しい。お金はあるけれど、そこから儲かる仕組みをつくる人が少ないの日本の社会。日本ではお金をかせぐことは、なんだか後ろめたいような風潮があって、人におおっぴろげに言えない風土がある。だから「お金を稼げ」だなんて教育は、ほとんどの日本人は受けていない。だから、使われる人になってしまう。

かつて、高野さんは高校教育の場で同様の話をするような機会がありそうだったらしいが、そのまま話すと指導上困ってしまうから控えて欲しい、と言われたそうだ。

確かに、「お金をかせげ」「起業家になれ」「使われる人になるな」と声高に言われてしまっては、多くの学校現場で指導上困るという意見がでるのもわかる。

学校の勉強なんか意味がない、と断じられるのは怖い。

ゼロ高では年に1回のレポート提出と、スクーリングで卒業資格がもらえるらしい。

毎日50分授業6時間をこなし、部活に勤しみ、課題に追われる現場の教員と生徒にとってみれば、まさに未知の世界の話だ。

だからこそ、いまルークス高やゼロ高といった学校が生まれ、注目を浴びているのかもしれない。この流れが、日本の教育の転換を生むのかもしれない。

前を向いたはたらき方

私は休職中の高校教員だ。日々の職務や指導に疲れて果て、つかのまのおやすみをいただいているだけのしがない30歳だ。

そんな私にとって、今日の会は、大きな刺激の場となった。

将来を語る彼らを見ながら、果たして私はそんな彼らの輪に入っていけるようなはたらき方をしているのだろうか、と考えてしまった。

事実、今日はその場に同席していながら、10秒も言葉を発していない。

教員になりたてのころ、自信と熱量に溢れ、どんなに忙しくても、帰りが23時になろうとも苦ではなかった。仕事を任されることは信頼の証、と思い仕事を断ることはしなかった。期待されればそれに応えたいと常に思っていた。

しかし、教員生活は6年目になり、少しそれらが重荷に感じるようになった。

じぶんの体が何かにがんじがらめにされているような、じぶんの人生なのにじぶんの人生を生きていないような、そんな錯覚に襲われることも多くなった。

ついに耐えきれず、心の叫びが体に出てしまった。

はたして前を向いたはたらき方はできているのだろうか。

そしてそれは、いま多くの現場教員にも言えることかもしれない。

真に子どもたちの将来のため、未来のため、胸を張って教員をやれているという人は、はたしてどれだけいるのか。そんなことを考える暇もなく、日々を送ることに疲れ、ただただ愚痴を漏らす生活をしている人も多いのではないか。

そんな状態では、子どもたちの健全な育成などとは言っていられない。

教員こそ、前を向いたはたらき方、自分らしく堂々といられる場づくりが必要なのではないか。

今日の高校生と同じ。全員が快活でなくていい。じぶんのことをじぶんの言葉で臆面もなく言える、そんな主体性を育む現場をどうやったら作ることができるのか、いまから考えていきたい。

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